なぜ、僕は戦前の日本にロマンを感じるのか
僕は戦前の日本にロマンを感じる人間だ。
ヒッピーに共感できる自分は、思想的にはかなり左寄りな部類なんだけど、
それでも戦前の日本は美しいと思う。
明治維新によって西洋から流入した産業革命と国民国家が急速に浸透していく中、
江戸時代までの閉ざされた島国で醸成された、日本的な思想や藝術が、新しい時代のうねりの中で未だ独自の成長を続けている、
あの世界観が好きなのだ。
たとえば、明治期の写真には、浮世絵の趣向が見て取れる。
写真は浮世絵の伝統を引き継いだ名所絵や美人画に、浮世絵は写真のような陰影法を用いたリアルな顔貌表現に、それぞれ取り組み、互いに互いを吸収したのだ。
これは、写真と浮世絵だけに留まらない。
それまでの伝統芸能は西洋の新しい技術を取り入れ、西洋の新しい技術もまた、国内に元からあった文化に馴染もうとしているダイナミックな交わりは、戦前の思想や文学、音楽、創作物全般に見られる。
僕が国内のアートに美しさを感じるのは、その源流に、日本的な美しさを感じた時だ。
特に、幕末〜大正にかけては、日本的なものと西洋的なものが自然に融合しているように思える。
たとえそれが一見して西洋的なものであっても、要素を紐解いて系譜を辿っていけば、鎖国していた頃の日本がそこには生きていた。
1945年の敗戦で、文化、思想的に侵略を受けた僕らの国に、それらはもう残っていない。
戦前の系譜は伝統芸能に受け継がれているとは言え、無意識に触れる日用品にその意匠を含ませることができるのは一部の特権階級に限られていて、庶民が無意識に触れているものにその系譜は流れていないように思える。
また、伝統とそうでないものの二分化が起こっている。現代でも、それらの融合が人工的に起こっていないわけではないが、そこに戦前のようなダイナミズムは感じられない。
庶民文化であっても浮世絵的な技法が根強く残っていた戦前は、伝統文化との距離ってもっと近かったんじゃないか。
「じゃあ僕ら庶民が普段日本的だと言っているモノとは何なのか」と問われれば、その大半は、地理的な制約から来ているに過ぎない、ただの「制約」である。
それは、意識して紡いでいかなければ一世代で消えてしまう思想や藝術とは、全く性質の異なるものではないだろうか。
軍閥による粛清と、GHQによる占領。内外から二度に渡って、日本の庶民文化は侵略を受けて焼き払われたのだ。
そして、経済は復興しても、思想や藝術は、おそらく未だ荒廃したままである。
それを初めて強く感じたのは、大学3年生の時に、新橋にある「アド・ミュージアム東京」に訪れた時だった。
ここでは、マスメディアの発達に伴う広告の変遷が時代を追って展示されているのだが、1945年を境に、それまで流れていたものが何かプツンと切れたような違和感を感じたのだった。
※戦前のカルピスの広告
※戦後のカルピスの広告
先鋭的な藝術が一般に理解されて、大衆の元にまで降りてきたのが、広告デザインであると思う。
もちろん、戦後にアメリカで発達したポップアート とは日用品を対象とした藝術なわけで、それが広告との親和性が極めて高かったことは言うまでもないだろうから、戦後の広告を例にとって国内の藝術の系譜の断絶を語るなら、一概に敗戦だけが理由とは言えないかもしれない。
(断定するには、現代の戦勝国の広告をポップアート出現以前と比較する必要がありそうだ)
また長くなりそうだから、その話は置いておこう。
それはそうとして、僕は思う。
もし太平洋戦争がなければ、ポップアートだって、それまでに輸入されていた藝術のように日本文化の文脈の中に組み込まれて、独自の道があったのではないか、と。
豊かな大正文化の延長にある、「もしも」の現代を妄想するのだ。
追記
・ググってたらこんな記事を見つけた。やっぱり遠近法が浮世絵みたい。
・戦前というと貧しいイメージがあるけれど、一説によると大正〜戦時下直前の日本は1960年代の日本と同じくらい豊かだったらしい。
・江戸東京博物館も敗戦による文化の断絶を感じられるオススメスポット。展示エリアは明治維新前後で分けられているのだけど、真に断絶を感じるのは1945年だ。まあ、空襲で全部焼けて無くなってるんだから、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。