ワカシ:35 cm くらいまでのもの

得た知識や個人にまつわる記事を、週に1〜3本のペースで更新

「読書について」

 

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

 

 

半年くらい前、めちゃめちゃ本読んだ時期があって、

そのとき、どうせ読むなら身になる読み方ををしたいと思って

読書そのものについて書かれた本を古いのから新しいのまで何冊か読んだ。

 

これはその一冊。

この筆者、東洋思想で有名な19世紀の哲学者なのよね。

内容は150年以上前のもの、日本語訳も古臭く、なかなか読みづらかった。

頑固ジジイのお説教って感じ。

 

 

以下まとめ

 

思索の道から遠ざかるのを避けるには、多読をつつしめ
読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた後を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が先生の下書きをなぞるようなもので、読書の際にはものを考える苦労はほとんどない。
 
事柄そのものについて書くものと、書くために書く者を見極めよ

 

原典にあたれ。引用は意図によって歪められる。
 
学識豊かな人の言葉は明晰であり、学識の乏しさにつれて、その発言は曖昧になるだろう。

 

言葉の量には限界点がある。度が過ぎれば、伝達されるべき思想は不明瞭なものとなっていく。形容詞は名詞の敵なり。

 

概念が少し異なるなら、言葉も少し異なる必要があり、その微妙なニュアンスを表せる言語は優秀といえる。
 
 
 

たぶん「本ばっかり読んでると自分の頭で考えなくなる」ってことがショウペンハウエルさんの一番言いたかったこと。

 

たしかにそう言われてみれば、僕の考えはどこか本で読んだ内容の継ぎ合わせで出来ている。

 

ただ、それは僕が内容に共感できたからその本を自分の考えの部品のひとつに選んだのであって、

そこで判断基準となっている「共感」は僕オリジナルの経験から生まれているのだから、

部品を組み合わせて完成したものはやはりオリジナルではないのかと反論したかったり。

 

本を読みながら考えること、あんまり悪いことだと思わないなあ。

自分の頭の中だけで考えられることなんてたかが知れてると思うし。

 

言語化された価値観を「部品の組み合わせによるプラモデル」であると考えるなら、

いくつか重要な部品が、自分のハンドメイドであるなら、たぶん「味が出る」んだよね。

 

  

誰かにそれを語る機会がある時は、自分の言葉を使うことを意識したいですな。

インプットは堅い文章であっても、それを咀嚼して、流動食のような形でアウトプットできる人になりたい。

 

げろげろ。

 

 

ちなみに著者はこんな人

アルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipedia

 

「逝きし世の面影」

 

前記事で偉そうに書いた

shusseuo.hatenablog.com

に関連して、当時の日本についてもっと知りたくて、以前こんな本を読んだのを思い出した。 

 

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

 

 

当時の訪日外国人が残した文章を紐解いて、開国〜戦前の日本の姿を明らかにしようという本なんだけど、印象的だったのはこの話。 

 

幕末とは西洋人の目から見て「蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができる限りの完成度を見せている高度で豊かな農業と手工業の文明」であり、鎖国によって独特な仕上げぶりに達したひとつの前工業化社会の性格と特質を暗示している。19世紀ヨーロッパ人は工業化に自負と同時に懐疑や反省を抱かざるをえなかった。

 

産業革命工業都市となった19世紀のロンドンやシカゴは、そらもう酷いもんだったらしく、都市問題は噴出、街には汚水と貧困者が溢れていたそうな。

 

いつの時代だってそうだけど、社会が大きく変化する時は、世の中にそれとは逆の衝動が起こるもんで、要は、「産業革命以前の『失われし牧歌的ヨーロッパの幻想』を、西洋人は日本に見出したんだ」と、この人は言ってるんだね。

つまり、ジパングブームとは、西洋人が「東洋的なもの」そのものに感動して興ったわけではないんじゃないかって話。

 

この流れから、筆者は東洋研究の視点であるオリエンタリズムにも批判を加えている。オリエントとは「西洋と対比された」という思想であり、東洋そのものを指す言葉じゃないから。

 

言われてみると、たしかに、自分も「西洋と対比した東洋」というものの見方をしている気がする。東洋人であるにも関わらずね。

 

東洋らしさってなんだろう。

 

東洋的な思想や芸術を意識的に見つけていきたいなあ、とぼんやり思う。  

芸術、好きなだけで全然詳しくないんだけどね。

禅宗日宋貿易時代の日本の芸術に興味があって少しハマったことがあるから、

いつかそれについて書きたいなあ。

 

あと最近は彼女の趣味で竹久夢二歌川国芳に興味があるんだ。

弥生美術館にいきたい。感想記事にできたらいいな。

なぜ、僕は戦前の日本にロマンを感じるのか

 

僕は戦前の日本にロマンを感じる人間だ。

ヒッピーに共感できる自分は、思想的にはかなり左寄りな部類なんだけど、

それでも戦前の日本は美しいと思う。

 

明治維新によって西洋から流入した産業革命国民国家が急速に浸透していく中、

江戸時代までの閉ざされた島国で醸成された、日本的な思想や藝術が、新しい時代のうねりの中で未だ独自の成長を続けている、

あの世界観が好きなのだ。

 

たとえば、明治期の写真には、浮世絵の趣向が見て取れる。

写真は浮世絵の伝統を引き継いだ名所絵や美人画に、浮世絵は写真のような陰影法を用いたリアルな顔貌表現に、それぞれ取り組み、互いに互いを吸収したのだ。

 

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これは、写真と浮世絵だけに留まらない。

それまでの伝統芸能は西洋の新しい技術を取り入れ、西洋の新しい技術もまた、国内に元からあった文化に馴染もうとしているダイナミックな交わりは、戦前の思想や文学、音楽、創作物全般に見られる。

 

僕が国内のアートに美しさを感じるのは、その源流に、日本的な美しさを感じた時だ。

特に、幕末〜大正にかけては、日本的なものと西洋的なものが自然に融合しているように思える。

たとえそれが一見して西洋的なものであっても、要素を紐解いて系譜を辿っていけば、鎖国していた頃の日本がそこには生きていた。

 

 

1945年の敗戦で、文化、思想的に侵略を受けた僕らの国に、それらはもう残っていない。

戦前の系譜は伝統芸能に受け継がれているとは言え、無意識に触れる日用品にその意匠を含ませることができるのは一部の特権階級に限られていて、庶民が無意識に触れているものにその系譜は流れていないように思える。

また、伝統とそうでないものの二分化が起こっている。現代でも、それらの融合が人工的に起こっていないわけではないが、そこに戦前のようなダイナミズムは感じられない。

庶民文化であっても浮世絵的な技法が根強く残っていた戦前は、伝統文化との距離ってもっと近かったんじゃないか。

「じゃあ僕ら庶民が普段日本的だと言っているモノとは何なのか」と問われれば、その大半は、地理的な制約から来ているに過ぎない、ただの「制約」である。

それは、意識して紡いでいかなければ一世代で消えてしまう思想や藝術とは、全く性質の異なるものではないだろうか。

 

軍閥による粛清と、GHQによる占領。内外から二度に渡って、日本の庶民文化は侵略を受けて焼き払われたのだ。

そして、経済は復興しても、思想や藝術は、おそらく未だ荒廃したままである。

 

それを初めて強く感じたのは、大学3年生の時に、新橋にある「アド・ミュージアム東京」に訪れた時だった。

ここでは、マスメディアの発達に伴う広告の変遷が時代を追って展示されているのだが、1945年を境に、それまで流れていたものが何かプツンと切れたような違和感を感じたのだった。

 

 

※戦前のカルピスの広告

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※戦後のカルピスの広告

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先鋭的な藝術が一般に理解されて、大衆の元にまで降りてきたのが、広告デザインであると思う。

 

もちろん、戦後にアメリカで発達したポップアート とは日用品を対象とした藝術なわけで、それが広告との親和性が極めて高かったことは言うまでもないだろうから、戦後の広告を例にとって国内の藝術の系譜の断絶を語るなら、一概に敗戦だけが理由とは言えないかもしれない。

(断定するには、現代の戦勝国の広告をポップアート出現以前と比較する必要がありそうだ)

 

また長くなりそうだから、その話は置いておこう。 

 

それはそうとして、僕は思う。

もし太平洋戦争がなければ、ポップアートだって、それまでに輸入されていた藝術のように日本文化の文脈の中に組み込まれて、独自の道があったのではないか、と。

 

 

豊かな大正文化の延長にある、「もしも」の現代を妄想するのだ。

 

 

 

 

追記

 

 

・ググってたらこんな記事を見つけた。やっぱり遠近法が浮世絵みたい。

www.all-nationz.com

 

・戦前というと貧しいイメージがあるけれど、一説によると大正〜戦時下直前の日本は1960年代の日本と同じくらい豊かだったらしい。

  

江戸東京博物館も敗戦による文化の断絶を感じられるオススメスポット。展示エリアは明治維新前後で分けられているのだけど、真に断絶を感じるのは1945年だ。まあ、空襲で全部焼けて無くなってるんだから、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。

 

15歳から10年間、遊び呆けてた僕が勉強したくなった話

 

勉強したい。ものすごく勉強したい。

 

最初にこんなこと言うと嫌らしいかもしれないけど、

僕は、高校に入るまでは結構目立つくらいお勉強のデキる子供として育ってきたんだ。

 

ただ、家庭崩壊だったり、反抗期だったり、地方の進学校の保守的なカラーが嫌いだったり、色んな要因が重なって、

高校時分で勉強することになーんにも意義なんて見出だせなくなって、

僕は元来頑固で、意義の見出だせないことはやりたくない人間だから、

勉強に意義を見いだせなくなった僕は

「毎日が楽しくなること」に自分のエネルギーを全振りするようになっていった。

 

学生時代は楽しかったから、それはそれでいいんだ。

それで、だ。

 

20代も半ば、遊びもだいぶお腹いっぱいで、

自分のやりたいことをはっきり見つけてしまったときに

必要に駆られてやっと勉強を始めたわけだけど

勉強してて何かにつけて思うわけだよ。

 

「自分には高校で固めておくべき基礎が身についていない」って。

 

具体的には、数学と物理だ。

電子工作やりたいとか、ゲームCG作りたいとか、

本気でやろうと思ったら何かと高校数学と物理の基礎が必須。

 

別にそういう「いかにも」な理系っぽいことじゃなくてもさ。

 

例えばNHKオイコノミアって又吉が面白く経済を説明する番組があって

「よっしゃ経済学勉強してみよう」って思い立ってググってみたらこんな記事に出会うんだよ。

大学での経済学の学び方

 

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中級以上の経済学を勉強するためには、数学が必須だってことがわかる図だ。 

 

経済学でも情報工学でも、本当に勉強しようと思ったら、体型立てて学ぶ必要があることはこの半年を通じて理解してて、

その上で、大抵の自分が知りたいことは、本を開くと理数系の素養を求めてくることが多い。

だから、自分の場合、まずは、高校の理数系の基礎から築くべきだと思うんだよね。

 

ここで「思う」として断言しないのは、確信が持てないからだ。

高校の勉強なんて今更やってどうなるの?って疑問が拭い切れない。

僕は、もう20代も半ばで、一般的には教育課程の終わっている「大人」だ。

つまり、仕事に直結している技術書やマネジメントの勉強に持てるエネルギーを全振りした方が、自分の職場での評価も上がって、自己肯定感も持てて、短期的に見れば費用対効果が高そうだなあって打算的な考えが浮かんじゃうわけ。

  

ただね、自分の叶えたい夢のためには、たぶん自分の中にアカデミックな素養を養う必要があって、そのための基礎学力として、まずは高校の教科書を開きたいって話なんだね。

 

本当は、受験勉強で得た基礎知識をベースにして専門を深めていく場が大学なんだろう。

(ホント、「大学は人生の夏休み」なんて言葉作ったやつ誰だよ・・)

 

高校までに基礎を積んで、やりたい専門を見つけたら大学に進学する。

受験は単なる偏差値の輪切りのための学力テストじゃなくて、希望する専門教育に沿った基礎知識に絞って知識を強化する役割があるんだ。

  

だから入試問題ありきで「傾向と対策」なんてナンセンスだってこと!「君のやりたいことから逆算したら、今はこういう勉強が必要だよ」って大学側が受験を通して高校生に教えてくれてるんだよ。

その意味じゃ、やりたいことが見つかるまでは大学なんて行かなくて良いのかも。受験勉強のコスパ悪いし、合格した後も学費で世界4周できちゃうんだし。

 

義務教育と高校と受験勉強と大学のカリキュラムの全体像が今更見えちゃった感じ。

高校生の時に僕がこれをわかっていれば、受験勉強の意義がめちゃくちゃハッキリするから良かったし、迷わずに突っ走れたんだろうけど、過去は過去だからねえ。

 

まあ、過去の「お腹いっぱい遊んだ自分の延長線上」に、今の「勉強したい自分」がいる以上、過去を否定してしまうと矛盾が生じるから後悔なんかすべきじゃないって思うんだ。

それに田舎の進学校に感じたあの時の違和感は、未だに間違ってなかったと思ってるよ。

 

まあさ、将来さ、

自分が親になった時に、我が子に大学行く意義をひとつ、自分の口からきちんと説明できるようになったんだから良しとしようじゃないの。

そうだよ。

究極的には、遺伝や子育てを通して生物は自分の記憶を自分の死んだ後に残せるんだ。

だから、この先どんなに今までの勉強不足が自分を祟ろうと、僕のこれまでが無駄だったなんて決して思わないようにしたい。

 

本来は高等教育で積み上げるべきものを、これから、20代半ばから積み上げていくって相当なことだよ。

これは回収できるかどうかもわからない、数年、数十年先を見越しての長期的な投資だ。

というか、夢なんて中々簡単に叶うもんじゃないわけで、回収できる可能性のほうが圧倒的に低そうだよね。

 

まあ、やるっきゃないんだけどね。

就活イベントで使ったプロフィールの転載

僕がエンジニアを目指し始めた経緯について。
 

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卒業後は、TVCMや映画の制作会社で働き、その後は高円寺にできるイベントハウス(音楽やトークや演劇をやるカフェ)のオープニングスタッフとして立ち上げから携わりました。

 

経営が苦しく、会社都合によりイベントハウスを退職したのが2015年7月。

 

貯金があったので次の進路をゆっくり決めようと思うも、真夏にエアコンなし築40年木造の我が家にいると命の危険を感じたため、

 

仕事を退職した後は、涼しさを求めて図書館に通うようになります。

 

 

始めは避暑のために通い始めた図書館でしたが、

暇つぶしがてら本を雑食してるうちに、文化史とか思想とか哲学とか、本当に読書が面白くなりました。

と、同時に、

学生時代から今まで色々手を出してきた物事の動機は全てにおいて「なんとなくやりたいから」程度であったと悟り、

本を読めば読むほど、先人の思想から感じられるスケール感と比較して、これまでの自分の行動に対する動機はとても幼稚に感じられました。

 

何をやるにもきちんとした動機が欠落していたことを悟った僕は、人生で初めて、これまで勉強してこなかったことを後悔。

きちんと勉強しながら考えた上で次の行動の動機を見つけようと決心し、3か月ほど本漬けの日々が始まります。

 

色々追いかけているうちに、パーソナルコンピュータに流れる思想(「個人の力を増大させることで社会全体の改良につなげようとする、60年代のロックやドラッグなどのカウンターカルチャーに通じる思想」)に強く感銘を受け、ITエンジニアになりたいと思ったのが9月半ば。

 

僕は元々、映画や音楽を通してヒッピーカルチャー、彼らの時代が好きでした。

彼らの思想は、10代から僕が世の中に感じている違和感そのものでした。

そんな彼らの思想の火が、ITの世界にはまだ消えずに強く燃え続けている気がしたのです。

 

 

11月から学校に通い始め、現在はサン・マイクロ出身の先生の元でJavaの修行中です。

いつか、社会問題を解決できるような、彼らの思想を体現したITエンジニアになりたいです。

その入口に僕はいると感じています。

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くっそ真面目。
今度、ヒッピー文化や思想のとこにフォーカスした過激な記事書きたいな。

 

 

はじめまして

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どうも、ワカシです。

 

煮ても焼いても生でも美味しい僕の大好きな魚、ブリ

その35cm以下の青二才を日本では「ワカシ」と呼ぶんだね。

 

 モジャコ(稚魚)→ワカシ(35cm以下)→イナダ(35-60cm)→ワラサ(60-80cm)→ブリ(80cm以上)

https://ja.wikipedia.org/wiki/ブリ

 

このブログが続く前提で、

人生が見事前進した暁にはイナダ、

万が一後退すれば次はモジャコを名乗ろうと思っている。

 

このブログが、大人として&エンジニアとしての自分の成長のログになれば良いなあ。

 

今「エンジニアとして」って言ったけど

最初の記事なんで今日は少しワカシの自己紹介しようかな。

 

 

突然だけど、

みなさんはニートって何の言葉の略かご存知ですかな。

 

Not in

Education,

Employment or

Training

 

ワカシは今同年代に比べて圧倒的にヒマだけど、この定義から言えば

辛うじてニートではないんだ。

 

EducationEmploymentと来たけど、現在の身分はTraining

つまるところは、日本語で言うところの職業訓練校に通っておるんですよ。

Tプログラミング言語JavaTをやってて、

5月ころには新人WEBエンジニアとしてEを企むワカシ

 

職業訓練校、日本では弱者救済のイメージが強くてディスられてたりするけど、

ニートのNotに続く3要素の一つを占めていることからもわかるように、

欧米圏ではEducationEmploymentに並ぶくらいポピュラーな制度なんですよ。

 

日本が高齢者優遇社会だとか言うけど、その前に案外みんな自分が受けられる制度にリーチできてないだけってこと、ある気がするなあ。

こういう国の制度が、もっと若い人に浸透すればいいなあって思います。

 

どっかで訓練校のことも記事に書きたいな。

 

 

勉強頑張るで。 

目指せ、ブリ!ブリブリ!